2008/12/21

パーティー in the office

この一週間、自分の部屋にほとんど帰ることが出来ないくらいの大忙しで、かなりグロッキーになっていた。で、最後に行き着いた場所は明るい部屋(オフィス)。
ここではメンバー二人の写真展が行われているのだが、すでに足の踏み場もないほどに職種や人種を越えた人々が集まっていた。熱気やテンションが限界を超えた夜半あたりからは、展示されている写真がはらはらと舞い落ちてくるような状態。あぁ浮世の儚さよ。
話すは、寝るは(寝すぎ)、笑いあり、涙あり(笑いすぎ)。それぞれが散々楽しんだ挙げ句、僕も夜明けに静かに意識を失ったのでありました。
来てくれた皆さん、ありがとう。

2008/12/07

劇的な出来事

カメラを抱えて新宿を歩く。
帰り際、J書店の前に来て、そうそう、人にあげたい本があったんだと思い出す。
で、結局二冊買ってしまう。もう一冊は衝動買い。どちらも演劇関係の本だ。

自分が今生きていることと
誰かの記憶を追体験すること。
誰かの創作を受け容れること。
その交点に強烈な磁場が発生している。
交点がブレると、劇は猿芝居になり、写真は記号となる。

なんて、飯の種にもならないことを考えていると、突然後ろから声を掛けられる。
ロンドンでお世話になっていた方と三年ぶりにばったり再会。二時間ほどお話を伺う。

全く意図できない、何者かに引き寄せられたような、出会い。
劇的な出来事なんて、手垢のついた言葉だけれど、
それは僕自身ががんじがらめに作った、リアリティとやらの意味を手放すための、全くの幸運なのだ。

2008/12/06

現像すること 再生されるもの

現像液を作る。
手間がかかる。
デジタルだったらパソコンに繋ぐだけなのに。
でも、画像が再生されるまで5秒と待てないのに、
写真の現像を待つ5分が待ち遠しいのはなぜですかね。

何かを思い起こしている。
何かに取り憑かれている。
何かが変化している。

例えば、
小説を何度も読むこと
彼がボブディランを何回も聴くこと
祖母が戦争の話を繰り返し何度も話すこと
に似ている。

身体を介すること=効率が悪いことになりつつある。
でも、現実を受け容れるとか、
それを伝えるとかっていうことは、
最終的には身体レベルでしかできないことだから、
何かを伝えたいとすれば理にかなっているはず。

それにしても、8Lは重い。

2008/12/04

西宮

ペダルを踏み込み加速しながら、急な坂道を登る。
足が重くなって、少しも漕げなくなったところが堤防のてっぺんだ。

高圧線が悠々と空を横切っている。
近くの空港を飛び立った飛行機が急旋回していく。
目の前を青いジャージを着た中学生の一団が走っていく。
川の真ん中でブルドーザーが土を持ち上げている。
二十分ほどで病院に到着する。

母の手術は終わった。
めくれた布団から足の先が見えている。
目はかすかに開いている。
こちらの方を見て少し頷いたような気がする。

病室、まだあまり話はできない。
帰り際に小さく手を振っている。
僕も手を振りながらシャッターを押す。
力を与えるために。
新しい現実を作るために。

家族、という最も触れられなかったものに
僕は他者として力を加える。
それは暴力と受け取られるかも知れない。
壊れてしまうかも知れない。
取り返しがつかないかも知れない。
でも、必要なのは力と熱だと確信している。

それぞれと話をする。
一言残さず言葉を聞く。
瞬間瞬間、自分の中に生まれる現実を表現する。
涙が出るまで。

息が切れるまで、今日も思い切りペダルを踏み込む。
いよいよ明日は東京だ。