2008/11/27

現在地

血眼になって探しても
その地図には載ってやしないよ
時間を測る目盛りはないし
私たちの存在を表す記号だってないんだから

もし自分がどこにいるのか知りたいのなら
見たもの聴いたもの
目の前にあることについて
語るしかない

石ころ

立ちはだかる山腹
土の匂い
逢いたい人


私たちは科学技術という踏み台に乗っかって
神の視点を得たような気持ちになっているけど
どんなに崇高な宗教画も
神自身の存在を表すことが出来ないように
すっぽりと大事なものが抜け落ちている

GPSやインターネットが無くても、
例えばある一編の詩から、一葉の写真から
世界を語る事ができる
たとえそれが不完全で誤謬に満ちていても

もう一度
いや何度でも
その言葉を伝えることが
私たちの口と手に与えられた使命だ
伝えることが現在地そのものなのだから

2008/11/08

枠は挑発する

朝から14時間働いて、家でパソコン作業して、
でもあんまり疲れは無くって、
アヤシゲな物質が脳内で分泌されていそうな夜明け前。
24時間戦えますか?
あっつい玄米茶をすすりながら新しいギャラリーのロゴを見る。
いろんなことを思いつつ。

言葉を話したり、歌を歌ったり、
あろうことか写真を撮ったりなんかしながら、
人はせっせと枠を作り続けている。
なんで自由なままにしておかないのかね?
そもそも枠って何?

規定するもの。
はやりの勝ち組・負け組だとか、誰かが決めた枠があるのは、その中に入ることで安心したいから。偶像にあえて自らを当てはめることで、名付ける方も名付けられた方も満足できるから。自分はビョーキだって思うことで気が楽になるような、甘え。規定されるって楽だもの。入れ子になっている方が分かりやすいんだもの。トラウマやら、しがらみやら、逃れたいと言うわりに人はそれが好きなのだ。怖いのは無意識にその枠にはまっていること。

挑発するもの。
どの時代にも目に見えるもの、言葉で話せること以外の世界を表現していた人がいる。芸術家・作家・舞踏家・シャーマン・・・呼び名はいくらでもあるけど、その人達は自分のコアとなる最小の枠を見つけて、そこから広い世界を垣間見たんじゃないだろうか。木の実一つ、草一本の存在から、世界の地図を描くアボリジニの"ドリーミング"のように。既に与えられているもの、残されたものから、未知の感覚を得るための、小さくても確固とした枠を創造できた者の軌跡が、時代を超えて僕たちを挑発する。
自由ってどういうこと?

枠を見つけること
枠を共有すること
枠を通して見えるもの

それが、僕の自由

www.akaruiheya.info

2008/11/06

夜があんまり寒いので

ずいぶんと痩せ我慢していたのだけれど、とうとう冬用のジャケットを出してしまった。
かれこれ4年くらいは着ている。一向にボロを出す気配がないので、冬期純正装備品となった。

これさえ着れば日本中どこでも行けちゃう安心感。
雨・風・バイク、どんな状況でも身を濡らさず守る責任感。
シーズン終わりにはヨレヨレになってるけど、クリーニングに出せばしっかり復活、立体感。

なんだか古女房のような。
今年の冬も貴方がいればこそ。

2008/11/05

膝が笑う

いやはや、
数日前の盲目的遠征やら、昨日の献身的労働やら、
笑ってしまうのである。
膝が。

突然だが、感情って膝から生まれるんじゃないだろうか。立つ、歩くといった基本的動作の他にも、僕にとって膝は、何やら重要な役割を果たしている。

話をするとき、話を聞くとき、目を合わせるとき、手をさしのべるとき。それを単に記号としての動作にするのか、全身を傾けた所作にするのか。その意識の分かれ目が膝にあるような気がするのだ。

日本語には身体の部位を使った慣用句がたくさんあるけれども、"膝"は地味ながら"目"にひけを取らないほど用法が多い。

膝が抜ける
膝を崩す
膝を叩く
膝を屈める
膝を折る
膝を組む
膝を進める
膝を抱く
膝を乗り出す



膝が笑う

膝は動作の起点であり、感情の表れである。ある対象と全身をもってコミットするというとき、感情を働かせるスイッチのように、膝は関わっている。

あなたの膝は笑っているか?