2008/10/11

I'll be your mirror

金曜夜、新宿発の込み合った最終電車に乗り込んだ。バイト帰りとおぼしき若い女性二人が、車両の真ん中で話し込んでいる。お互いの彼氏について最初は小声で話していたのだが、声がどんどん大きくなり、その容貌、年齢、経歴、家族構成、倒錯的嗜好などが一車両の間に知れ渡っていったのである。

鉄道各社は、携帯電話での通話を一律禁止するなど、訳の分からないルールを設定する前に、恋愛相談、痴話及び痴話ゲンカ、酔っぱらいの独り言等を禁止するべきではないのか。取引先に、あと五分でつきますから・・・と小声で平身低頭しているしがない営業マンを白い目で見る必要はないと思うのだ。

問題になっているのは、"私"の"公"への流出が顕在化している状況である。 ”公"すなわち"私たち"がかりそめ共有している空間に、姿形の存在しないものについてのコミュニケーションが入り込む、そこに生まれるのは"私たち"が無視されていることへの嫌悪感である。

"私"とは鏡だ。そして"私たち"とはそれを寄せ集めてできた、歪みのある大きな鏡である。大きな鏡の前では"私"は小さく映されるが、小さな鏡の前で"私"は純粋に拡大される。ましてやそれが向かい合い、合わせ鏡となれば、拡大した"私"同士が無限に増殖していく。

翻って鉄道各社はどうすればよいか。
ラッシュ時の女性専用車両を、平時はフリートーク車両にすればいいのだ。ケイタイも、ケンカも、合コンも、自由。その乱反射された"私"の様相はある種の表現になるかも知れない。その他の車両では声が80デシベルを越えると容赦なくタライが落ちてくるようにすればいい。ようやくそれで"私たち"の秩序は保たれる。

僕は結局、フリートーク車両に乗るだろう。喋るためではなく、ただ聴くために。