2008/10/31

秋風

廃品回収車が二台連なって北の方角へ走っていく。
しかも音量全開で。
それも猛スピードで。

そもそも、そんなスピードで廃品など回収できるわけがないのである。
あれは一種のアートだ。

二台のスピーカーが叫ぶ声は、ずれている。
「・・・さまごかていないでごふようにな・・・」
「・・・しゃみにばいくてれびすてれおか・・・」

音をシャッターで切り取ることができるのなら、
「ごみ」「かに」「てば」「なく」「でれ」「ごび」なんて
風流に聞こえるんだろうけど、
悲しいかな僕の耳にそんな機能はなく、
混ざり合ったノイズだけが一陣の風と共に過ぎ去った。

2008/10/26

事実

終電一本手前、深夜一時を過ぎて、西荻窪に到着した。
自転車で自宅までの道のりを走っていると、突然「助けてください!」と呼び止められる。引き返してみると、80歳を過ぎたとおぼしきおばあさんである。腰は完全に曲がってしまっており、僕と目を合わせるのが大変そうだ。聞けば、自宅トイレで夫(95歳)が立ち上がれなくなってしまったという。

お宅に上がり、トイレへ直行。どうやら病気ではなく、座ったはいいが立ち上がる力を無くなってしまったらしい。幸いにも介護の心得が少しはあるので、抱きかかえるようにして身体を起こす。ベッドまで手を取り、そおっと横たえる。ようやく安心できたようだ。

「ほとんど寝たきりになってしまってね。自分では何もできんのですよ。」

慈愛や憐憫ではない感情。
今、ここに、あなたが、あなたたちが、そして僕が存在するという、事実。

通りがかりの人間を呼び止める声。
自らの重量を支えきれない身体。
部屋を占拠するテレビの大音量。
シーツに残された染み。
千円札をねじ込もうとするしわがれた手・・・

今、僕が生きていることの隣に、彼らは確かに存在していて、
その事実に、なぜか、泣きそうだ。

2008/10/19

月とアボカド

ふと冷蔵庫の上を見ると、褐色の物体が静かに鎮座していた。
買ったことすら忘れていた、あのアボカドである。どうりで最近、肩のあたりに脂っこい視線を感じていたのだ。危ない危ない。明日だともう取り返しがつかなかった。

買ったはいいものの、いつも迷うのは食べ方だ。ちょうど炊けたばかりのご飯もあるし、今日はアボカド丼にしようと決意。アツアツのご飯にアボカドを載せる。やや黄色みがかった薄緑は秋の草原をも思わせる。
しかし、何か物足りない。

そこで、贅沢にも卵黄だけを器の右上角に落としてみると・・・これはこれでお月様のようである。器の中には絵に描いたような中秋の風景が広がった。キッコーマン特選丸大豆しょうゆをかけ、ミツカン丸搾りゆずぽんずを少量加えると、ふわっと風味が立ち上がり、まさに「秋の実り」といった雰囲気。

だがここで、あまりの出来映えゆえに少し興奮しすぎてしまい、箸でかき回してしまった。すると名画は突然、阿鼻叫喚の地獄絵図に変わり、減色混合の法則どおり黄緑色のご飯になった。

きみどりいろのごはん

どう見ても、どう読んでも、おいしそうではない。

やはりお月様は天空で輝いているのが一番いいのであって、地上のものと交わってはならないのである。

2008/10/16

バカモノ

きのう一日
違和感を持って過ごした。
帰ってみると
シャツの表と裏が逆だった。

よおくみると
思いやりとやさしさも
他者と鏡も。

いろいろなものを混同していたバカモノ。
ようやく気付いたバカモノ。

2008/10/11

ナニモノ

読みたい本など何もないのに、また書店にいる。どうやら自分がナニモノかを知るためである。

I'll be your mirror

金曜夜、新宿発の込み合った最終電車に乗り込んだ。バイト帰りとおぼしき若い女性二人が、車両の真ん中で話し込んでいる。お互いの彼氏について最初は小声で話していたのだが、声がどんどん大きくなり、その容貌、年齢、経歴、家族構成、倒錯的嗜好などが一車両の間に知れ渡っていったのである。

鉄道各社は、携帯電話での通話を一律禁止するなど、訳の分からないルールを設定する前に、恋愛相談、痴話及び痴話ゲンカ、酔っぱらいの独り言等を禁止するべきではないのか。取引先に、あと五分でつきますから・・・と小声で平身低頭しているしがない営業マンを白い目で見る必要はないと思うのだ。

問題になっているのは、"私"の"公"への流出が顕在化している状況である。 ”公"すなわち"私たち"がかりそめ共有している空間に、姿形の存在しないものについてのコミュニケーションが入り込む、そこに生まれるのは"私たち"が無視されていることへの嫌悪感である。

"私"とは鏡だ。そして"私たち"とはそれを寄せ集めてできた、歪みのある大きな鏡である。大きな鏡の前では"私"は小さく映されるが、小さな鏡の前で"私"は純粋に拡大される。ましてやそれが向かい合い、合わせ鏡となれば、拡大した"私"同士が無限に増殖していく。

翻って鉄道各社はどうすればよいか。
ラッシュ時の女性専用車両を、平時はフリートーク車両にすればいいのだ。ケイタイも、ケンカも、合コンも、自由。その乱反射された"私"の様相はある種の表現になるかも知れない。その他の車両では声が80デシベルを越えると容赦なくタライが落ちてくるようにすればいい。ようやくそれで"私たち"の秩序は保たれる。

僕は結局、フリートーク車両に乗るだろう。喋るためではなく、ただ聴くために。

2008/10/09

忘れもの

白いシャツにアイロンをかけ、窓際のハンガーに吊した。
すると、日が急に照ってきて、みるみるシャツの輪郭が無くなった。

平衡?!・・・五感を通じて世界と接触することは、その境界において平衡を見いだすのと同義である。無意識に、釣り合う感覚を探っている。そのナイフの刃の上に、限りなく危ういバランスの上に、自らの身体をそっとおいてくる。次の瞬間、刃の上にあるのは自分でも他者でもない、得体の知れないものになっている。何なんだ、この感覚・・・今?!

一瞬静止したあとで日は落ち、シャツには輪郭が戻った。

ずっと探していた忘れものをとりにいく。

2008/10/07

米を研ぐ

日曜夕

化石化した調味料をすべて廃棄し自転車で西友へ向かう。多少割高でも一番小さいサイズを買うことを心がける。特売だからといって、うちは中華料理屋ではないのだから1リットルもの油は要らない。小振りのビンがカゴでガラガラ。だいぶ昔に、12色の絵具を買ってもらった時のよう。

鶏もも肉、玉ねぎも購入し帰宅。ビール片手に調理開始。まず米を研ぐ。これが出来なくちゃ始まらない、全ての基本である。炊飯器に放り込んだ後、ステンレス包丁を振りかざし、肉を切る、玉ねぎをスライスする。フライパンに胡麻油を熱しておく。ビールを二口三口でそのタイミング。食材を火にかける。

焼き色が付いたところで醤油、みりんを投入。本当はピリ辛にしたかったのだが、唐辛子が急遽、戦線離脱してしまったのでほんのり甘い味付けに変更。短時間ふたをして火を通すとともに味を浸透させる。その間になまくらになってしまった鋼の包丁"泉州源氣虎"をさっと研ぐ。名前は六甲おろし的に勇壮だが、実は果物ナイフくらいの慎ましさである。一人分の食事ならだいたいこれでいける。輝きを取り戻したところで食用油を塗っておく。

味噌汁は手を抜いて永谷園"ゆうげ"。それにしてもいまだに"あさげ"と"ゆうげ"の違いが分からない。結局ビールは250ml飲んだくらいでギブアップ。友人とだと一晩いけるんだけれど。アルコールをコミュニケーション手段としか考えてないのかも知れない。

出来たものをテーブルに並べてみる。良くも悪くも、今この瞬間の僕の全てである。生活しなければ。そういえば、どちらも"いきる"という字ですね。さめないうちに、いただきます。

2008/10/04

今できること

晴れ

洗濯機をまわす。
シーツを干す。
布団を広げる。

洗い物をする。
シンクを磨く。
冷蔵庫を拭く。

やらなくてはならないことはたくさんある。
この身体でできることは少ししかない。
だから今、コンロを拭く。
食器は明日、片付ける。
それでいい。