2008/08/27

カメラ

性懲りもなく、またやってしまった。
カメラを買ってしまったのだ。

言い訳をしても始まらないので正直に言いますと、前々から小さいデジタルカメラが欲しかったのですね。高画質を求めているわけではないのでポイントは3つ。
手のひらサイズ、かつ使いやすい。
デザインがぐっとくる。
とにかく安い。
以上。

で、Yカメラをウロウロしているうちに見つけてしまったのですね。C社のデジカメ。昔からそういう傾向があるのだが、ちょっとデザインし損なったようなものに惹かれてしまう。それは明らかに最新のメタリック&スリム路線とは違う、プラスティック&メタボといった感じで、全体に鈍重な印象。これはなにかある。
触ってみると操作性を重視していてなかなか使いやすいではないですか。800万画素・マニュアル撮影可。機能も十分。しかし値段が27,000円。これでも高い。
ぐっと我慢して、家でネットを使い検索してみると、あった、驚異の21,000円。気付いたときには注文ボタンを押していたのだった。

届いてからは、いろいろと捏ねくり回して遊んでいるが、いかんせん付属のメモリーカードは容量16M。10枚位しか撮れない。また出費が・・・。

2008/08/23

場所

携帯からも投稿できるということでテスト、してみたがうまくいかず。結局パソコンから投稿する。

浮遊しながら文字を打ち、写真を撮り、それを一瞬で公にする時代。場所という概念がどんどん希薄になっていくのではないだろうか。今・ここ、が消滅する。場所は意識と直結している。このスタイルが産み出す表現とは何なのか。それは自分も体験してみなければ分からない。

奇しくも、荻窪の喫茶店で、西田幾多郎の「場所論」を読む。大変なものに行き当たってしまった予感。

2008/08/18

くずれる

台所で乾かしていた食器の山が、
音を立てて崩れた。
何かが壊れた。
瞬間、隣の部屋にいながら、そちらを振り向いている。

物が、くずれる。
ヒトはどうしてその瞬間から目が離せないのだろう。
恐怖?快楽?

位相が、ずれる。
物質は崩壊すると同時に生成している。
その瞬間を撮る写真家もいる。

たとえ目前で何かが壊れなくとも、
見えなくとも、聞こえなくとも
その瞬間は世界に偏在している。

ないものだろうか。

その予兆としての写真って。

2008/08/12

サラウンド

日陰を求めて細い路地を歩いていると

"カァーン"
金属バットの乾いた音が
四方から同時に聞こえてきた。

今、電波を通じて、日本中が白球の行方を追っている。
そして、あの物悲しい音を聴くと決まって
幼少の頃見た、夕焼け空を思い出す。

夕方になると
その球場の煌々と輝く明かりが見え、
大歓声が風に乗って流れてくる。
そういう空気に包まれて
僕は育ったのだ。

2008/08/08

自由

その犬はひたすら地面を掘っている。
爪ががちがち石に当たる。
ぴんと張った鎖が彼の喉を締めつける。

ねぇ、もうやめなよ。
何か出てくるのは昔話の中だけだよ。

それでも犬は掘り続ける。
息遣いが荒くなる。
ときおり鎖がじゃらんと音を立てる。

どれくらいその営みが続いたろうか。
とうとう犬は掘るのをやめた。
頭はみじめに垂れ、尻尾はべったりと地面にへばりついている。

そらみろ、
何も見つからなかったじゃないか。
そういうのを無駄骨というんだ。

しかし、彼はすでに見つけていた。
杭を中心とする円、以外の世界を。
彼にとって自由とは、完全なる球体だったのだ。

彼は無心に眠った。
そして、一番、”何か”を期待していたのは、
ガラスに凭れかかってそれを見つめている
自分である事に気づいた。

2008/08/03

アツイ話

最近の東京は暑い。
特に今日(8月3日)は温度・湿度共にハイテンションだ。京都から来た人が暑いというのだから間違いない。そんな中、東京大丸で行われている「cool black展」(5日まで)を観た。僕は写真係。作品が力を持っているだけに、撮影はとてもエキサイティングだった。

一 日が終わって、そのクールな作家さんたちと月島で夕食をご一緒することになった。撮影機材の入ったばかでかいスーツケースをガラゴロと引っ張りながら、も んじゃの店を物色する。偶然にも、祭りの日だったらしく、道行く人はもうだいたい出来上がっていて、通りを赤く染めている。

あ てもなく一軒の店に入り、皆で使い慣れないヘラを振り回していると、現れたのは、生まれも育ちも東京月島のおばちゃん。祭りの余韻も醒めやらぬ様子で話し 掛けてきて「合縁奇縁っていうじゃないの。ねぇ。ちょっとここにビール4つ持ってきてあげて!!」とただでさえ狭いボックス席に割り込んでくる。

ホントに今日は暑かったですね。
「しかもこの通りはね、東京の中でも五本の指にはいるくらい温度が高いって言うよ。なんたって80軒も、もんじゃの店が両側に並んでるんだから」
今日はどういうお祭りだったんですか?
「住吉神社例大祭って言ってね、大阪の住吉神社から分けてもらった神様を祀るお祭りさ。なんたって三年に一度だからね。盛り上がるよぅ。八角の御輿が出てね。そりゃあもう勇壮なんだから。」

ん、そういえば、おばちゃん、声がガラガラだ。掛け声やら応援やらで声が涸れてしまったらしい。しかし、そのボルテージは止まることを知らない。
目の前でじりじりともんじゃが焼けている。酔いがふんわりと回ってきた。「もんじゃとは混沌を食すものなり」訳の分からない格言が頭をよぎる。

店を出るときになって、おばちゃん手をぎゅっと握りしめて離してくれない。最後は全員と抱擁。おばちゃんやっぱり離してくれない。
いやはや、月島は熱い。

2008/08/01

背水

水の上で身体を完全に伸ばし、首、肩、腕、腰・・・
と無駄な力を抜いていくと、

音を立てて関節が緩んでゆくのがわかる。
呼吸が落ち着くと、自然に耳のあたりが喫水線に定まっている。

次の瞬間、息を一杯に吸い込む。
体幹が浮力を持ち、視界が変化する。
身体はわずかな姿勢の変化や水流によって容易に翻弄される。

そして、息を吐き出す。
聞こえる音が劇的に変化する。
身体は腰をアンカーとして沈み込み、安定する。
口だけが唯一外界との通路として水上に出ている。

そして、また、息を吸う。

ある時、この感覚を歩くときに使えないか、と思い立った。
垂直に作用する浮力を、水平に感じてみたらどうかと。
つまり、呼吸により水上では浮力が生まれるように、
陸上では前進する力が生まれるのではないか。

立ったまま、背中に水をイメージする。
呼吸をしつつ、前へ。
なかなかうまくいかない。意識しすぎなのだ。苦しくなってくる。
でも、忘れた頃に我知らず実践していたりもする。

呼吸が、周囲の感覚をも取り込むことであるとするならば、
水を背にして、いつも歩いていたい。
それは本当は、人間にとって限りなく自然な感覚であると思うのだ。