引越し
不意に寒くなったりもするけど、
日々、庭に鮮やかな緑が差してきている。
今日はよい天気。
ちょいとこの部屋も狭くなってきたので、
思い切って引越しをしよう。
間取りがあんまり変わらないって?
だいぶ日当たりが良くなったと思うんだけど。
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miki yoshikazu
カウントゼロでの展示もあと二日。情を排したドライな展示にした。一方で自らはずぶずぶと情の世界に足を踏み入れて、愛している、とか、言ったりした。
それはどちらも本当で、そして、どちらもまだまだ足りない。
あ、新宿。

あなたは何を考えているの?
何を笑っているの?
何を見ているの?
何を伝えたいの?
そして僕は何を守りたいの?
ルーターやら配線やらをいじってみても、ソフトの設定を変えてもダメ。些細なことが一つ欠けても、デジタルのコミュニケーションは破綻してしまう。この携帯も、最近は電池が弱って一日と持たない。
ということで、もし急ぎの用があれば、速達か会いに来るのが確実です(笑)
"カァーン"
金属バットの乾いた音が
四方から同時に聞こえてきた。
今、電波を通じて、日本中が白球の行方を追っている。
そして、あの物悲しい音を聴くと決まって
幼少の頃見た、夕焼け空を思い出す。
夕方になると
その球場の煌々と輝く明かりが見え、
大歓声が風に乗って流れてくる。
そういう空気に包まれて
僕は育ったのだ。
その犬はひたすら地面を掘っている。
爪ががちがち石に当たる。
ぴんと張った鎖が彼の喉を締めつける。
ねぇ、もうやめなよ。
何か出てくるのは昔話の中だけだよ。
それでも犬は掘り続ける。
息遣いが荒くなる。
ときおり鎖がじゃらんと音を立てる。
どれくらいその営みが続いたろうか。
とうとう犬は掘るのをやめた。
頭はみじめに垂れ、尻尾はべったりと地面にへばりついている。
そらみろ、
何も見つからなかったじゃないか。
そういうのを無駄骨というんだ。
しかし、彼はすでに見つけていた。
杭を中心とする円、以外の世界を。
彼にとって自由とは、完全なる球体だったのだ。
彼は無心に眠った。
そして、一番、”何か”を期待していたのは、
ガラスに凭れかかってそれを見つめている
自分である事に気づいた。
最近の東京は暑い。
特に今日(8月3日)は温度・湿度共にハイテンションだ。京都から来た人が暑いというのだから間違いない。そんな中、東京大丸で行われている「cool black展」(5日まで)を観た。僕は写真係。作品が力を持っているだけに、撮影はとてもエキサイティングだった。
一 日が終わって、そのクールな作家さんたちと月島で夕食をご一緒することになった。撮影機材の入ったばかでかいスーツケースをガラゴロと引っ張りながら、も んじゃの店を物色する。偶然にも、祭りの日だったらしく、道行く人はもうだいたい出来上がっていて、通りを赤く染めている。
あ てもなく一軒の店に入り、皆で使い慣れないヘラを振り回していると、現れたのは、生まれも育ちも東京月島のおばちゃん。祭りの余韻も醒めやらぬ様子で話し 掛けてきて「合縁奇縁っていうじゃないの。ねぇ。ちょっとここにビール4つ持ってきてあげて!!」とただでさえ狭いボックス席に割り込んでくる。
ホントに今日は暑かったですね。
「しかもこの通りはね、東京の中でも五本の指にはいるくらい温度が高いって言うよ。なんたって80軒も、もんじゃの店が両側に並んでるんだから」
今日はどういうお祭りだったんですか?
「住吉神社例大祭って言ってね、大阪の住吉神社から分けてもらった神様を祀るお祭りさ。なんたって三年に一度だからね。盛り上がるよぅ。八角の御輿が出てね。そりゃあもう勇壮なんだから。」
ん、そういえば、おばちゃん、声がガラガラだ。掛け声やら応援やらで声が涸れてしまったらしい。しかし、そのボルテージは止まることを知らない。
目の前でじりじりともんじゃが焼けている。酔いがふんわりと回ってきた。「もんじゃとは混沌を食すものなり」訳の分からない格言が頭をよぎる。
店を出るときになって、おばちゃん手をぎゅっと握りしめて離してくれない。最後は全員と抱擁。おばちゃんやっぱり離してくれない。
いやはや、月島は熱い。
音を立てて関節が緩んでゆくのがわかる。
呼吸が落ち着くと、自然に耳のあたりが喫水線に定まっている。
次の瞬間、息を一杯に吸い込む。
体幹が浮力を持ち、視界が変化する。
身体はわずかな姿勢の変化や水流によって容易に翻弄される。
そして、息を吐き出す。
聞こえる音が劇的に変化する。
身体は腰をアンカーとして沈み込み、安定する。
口だけが唯一外界との通路として水上に出ている。
そして、また、息を吸う。
ある時、この感覚を歩くときに使えないか、と思い立った。
垂直に作用する浮力を、水平に感じてみたらどうかと。
つまり、呼吸により水上では浮力が生まれるように、
陸上では前進する力が生まれるのではないか。
立ったまま、背中に水をイメージする。
呼吸をしつつ、前へ。
なかなかうまくいかない。意識しすぎなのだ。苦しくなってくる。
でも、忘れた頃に我知らず実践していたりもする。
呼吸が、周囲の感覚をも取り込むことであるとするならば、
水を背にして、いつも歩いていたい。
それは本当は、人間にとって限りなく自然な感覚であると思うのだ。